経歴

1958年 長浜ひろゆき誕生

昭和33年、あの「ALWAYS-三丁目の夕日-」の古き良き時代、東京の下町(稲荷町の永寿病院)で生まれる。幼稚園の頃からピアノ教室に通う。当時は女の子ばかりで恥ずかしがりやの私にはおとなしく座っていることが大変苦痛で何度も逃げ出しては連れ戻される日々・・・

チャキチャキの腕白坊主でチャンバラ遊びに興じた毎日。それが高じて小学3年の時に悪ガキ仲間とともに道場に入門、剣道と出会う。勝負事は対戦相手との一対一で対峙する競技が好き。

中学では剣道部に入部したがその後、ブラスバンドに移る。トロンボーン担当(これしか空いてなかった・・・)。中高一貫教育の学校(芝学園)であったため高校3年生まで続ける。独奏と違って合奏は自分だけ良くてもダメでチームワークの大切さを身に染みて感じる。室内の演奏ではなく、ドリルやマーチングといった動きながら演奏することに強い関心を持つようになった。そして大学(早稲田大学政治経済学部)では応援部に入り“都の西北”を吹くことになる。

長浜ひろゆき誕生

長浜ひろゆき誕生

長浜ひろゆき誕生

1981年 松下政経塾に入塾

大学卒業後は松下政経塾に二期生として入塾。当時は松下幸之助翁自身が直接面接をして塾生を選んでいた。一期生は知的レベルが高い人が集まっていたが、我々二期生は行動派が多く、今から考えると「動物園」のような集まりだった。(普通、門は外敵の侵入を防ぐためにあるが、政経塾の門は野獣-二期生-が外に出ないためと言われていた)

私は東南アジアと日本の関係について研究。特に“華僑”という存在に興味を持ち、バンダイ創業者山科直治氏に懇願し、バンダイ香港(現地法人)のシンガポール支店で一年間、汗と油にまみれてシンガポーリアンと働きながら肌で学ぶ。実家が会社を経営していたこともありその後、伊藤忠商事にて研鑽を積み政経塾卒塾後、家業の町工場(浦安鉄鋼団地)に勤務する。

松下政経塾に入塾

松下政経塾に入塾

松下政経塾に入塾

1992年 新党立ち上げに参画

今思えばこの出会いが私の転機となる。政治を変えようと研究を続けていた政経塾出身者と新党設立を目指していた細川護煕元熊本県知事との理念が一致。私は新党立ち上げに参画し、細川参議院議員の公設第一秘書となる。

1993年 初当選

日本新党から出馬初当選を果たす。その頃から環境委員会に所属し、環境問題について力を入れる。

初当選

初当選

初当選

1996年 浪人生活へ

小選挙区制に選挙制度が変わった初めての衆議院総選挙で自分の誕生日に落選する。とにかくショックで、茫然自失。この時、支えてくれた言葉が松下政経塾の五誓(校訓のようなもの)「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」。塾生時代に「商いは飽きたらだめ。だから“あきない”なのだ」と幸之助塾主が話していたのを思い出した。4年間に及ぶ浪人生活の間で“大忍”(政経塾の寮室にかかっていた書)の意味を噛み締めた。

2000年 2回目の当選

衆議院総選挙で再選する。当時の岡田克也政調会長の下、政調副会長として勉強会など開き政策立案に携わる。その後、衆議院議院運営委員会理事として国会運営の中枢で働く。

2回目の当選

2回目の当選

2回目の当選

2003年 3回目の当選

衆議院総選挙で3回目の当選。いわゆるマニフェスト選挙で民主党は40議席をのばした。衆議院環境委員会理事、民主党では『次の内閣』環境担当大臣としてアスベスト問題などに取り組む。

2005年 4回目の当選

衆議院総選挙で4回目の当選。郵政解散で民主党は議席数を減らす。
民主党千葉県総支部連合会代表として千葉県のまとめ役になる。

2007年 5回目の当選

第21回参議院選挙にて666,241票をいただき当選、民主党「次の内閣」国土交通大臣に就く。

5回目の当選

5回目の当選

2009年 政権交代

衆議院総選挙で政権交代を達成!
長妻昭厚生労働大臣の下、厚生労働副大臣に就任する。消えた年金の回復や子ども手当、医療介護など、山積した社会保障問題に取り組み、ベールに包まれた問題の本質を国民に隠すことなく明らかにする。

政権交代

政権交代

政権交代

2011年 内閣官房副長官に就任

野田佳彦政権が発足し内閣官房副長官に就任。社会保障と税の一体改革を推進し、社会保障制度改革推進法の成立をみる。また、内外の問題にあたるため、オバマ大統領をはじめとする国家首相と対談する。

内閣官房副長官

内閣官房副長官

内閣官房副長官

2012年 環境大臣・原発担当大臣に就任

野田第3次改造内閣で環境大臣・原発担当大臣となり、東日本大震災の被災地を訪問し、首長や住民の方々のお話を伺う。被災地の復興復旧なくして、日本の再生はありえません。

環境大臣・原発担当大臣

環境大臣・原発担当大臣

環境大臣・原発担当大臣

2013年 第23回参議院選挙【千葉選挙区】で再選

インターネット選挙が解禁となった最初の国政選挙。388,529票をいただき再選いたしました。国会では国家基本政策委員長に就任。また、環境委員会委員と北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員として頑張っています。

第23回参議院選挙

第23回参議院選挙

第23回参議院選挙

2019年 第25回参議院選挙【千葉選挙区】で3期目の当選

国民民主党、社民党から支持をいただき、立憲民主党公認として立候補。661,224票をいただき2位当選しました。現在は党の参議院議員会長、国土交通委員会委員、国家基本政策委員会委員、憲法審査会委員として頑張っています。

第25回参議院選挙

第25回参議院選挙

第25回参議院選挙

2020年 11月 環境委員長に就任

第203回臨時国会より環境委員長と政治倫理審査会委員となりました。

2021年 12月 永年在職議員表彰

12月10日永年在職議員(25年)表彰を受けました。また、第206回臨時国会より国土交通委員会理事と議院運営委員会委員、ODA特別委員会委員、政治倫理審査会委員となりました。

2022年 8月 参議院副議長就任

8月3日参議院本会議にて副議長に選ばれました。