プロフィール

1958年10月20日生まれ。
芝学園(芝中・芝高)、
早稲田大学政治経済学部卒業。
松下政経塾にて5年間政治のあるべき姿を学ぶ。
(株)バンダイ・シンガポール支店、伊藤忠商事(株)鉄鋼本部等でのサラリーマン生活を経て、(財)松下政経塾東京事務所長に就任。
細川護熙氏による日本新党設立に参画(日本新党・秘書室長)。
1993年、第40回総選挙で初当選(34歳)。
厚生労働副大臣、内閣官房副長官、環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災担当)、原発事故の収束及び再発防止担当大臣、衆議院議員(4期)等を歴任した。

経歴

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1958 長浜ひろゆき誕生

1958昭和33年、あの「ALWAYS-三丁目の夕日-」の古き良き時代、東京の下町(稲荷町の永寿病院)で生まれる。幼稚園の頃からピアノ教室に通う。当時は女の子ばかりで恥ずかしがりやの私にはおとなしく座っていることが大変苦痛で何度も逃げ出しては連れ戻される日々・・・≫ 続きを読む

1982 松下政経塾に入塾

1982大学卒業後は松下政経塾に二期生として入塾。当時は松下幸之助翁自身が直接面接をして塾生を選んでいた。一期生は知的レベルが高い人が集まっていたが、我々二期生は行動派が多く、今から考えると「動物園」のような集まりだった。≫ 続きを読む

1992 新党立ち上げに参画

今思えばこの出会いが私の転機となる。政治を変えようと研究を続けていた政経塾出身者と新党設立を目指していた細川護煕元熊本県知事との理念が一致。私は新党立ち上げに参画し、細川参議院議員の公設第一秘書となる。

1993 初当選

日本新党から出馬初当選を果たす。その頃から環境委員会に所属し、環境問題について力を入れる。

1993

1996 浪人生活へ

小選挙区制に選挙制度が変わった初めての衆議院総選挙で自分の誕生日に落選する。とにかくショックで、茫然自失。この時、支えてくれた言葉が松下政経塾の五誓(校訓のようなもの)「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」。塾生時代に「商いは飽きたらだめ。だから“あきない”なのだ」と幸之助塾主が話していたのを思い出した。4年間に及ぶ浪人生活の間で“大忍”(政経塾の寮室にかかっていた書)の意味を噛み締めた。

2000 2回目の当選

衆議院総選挙で再選する。当時の岡田克也政調会長の下、政調副会長として勉強会など開き政策立案に携わる。その後、衆議院議院運営委員会理事として国会運営の中枢で働く。

2000

2003 3回目の当選

衆議院総選挙で3回目の当選。いわゆるマニフェスト選挙で民主党は40議席をのばした。衆議院環境委員会理事、民主党では『次の内閣』環境担当大臣としてアスベスト問題などに取り組む。

2005 4回目の当選

衆議院総選挙で4回目の当選。郵政解散で民主党は議席数を減らす。
民主党千葉県総支部連合会代表として千葉県のまとめ役になる。

2007 5回目の当選

2007

第21回参議院選挙で666,241票で当選、民主党「次の内閣」国土交通大臣に就く。

2009 政権交代

衆議院総選挙で政権交代を達成!
長妻昭厚生労働大臣の下、厚生労働副大臣に就任する。消えた年金の回復や子ども手当、医療介護など、山積した社会保障問題に取り組み、ベールに包まれた問題の本質を国民に隠すことなく明らかにする。

2009

2011 内閣官房副長官に就任

野田佳彦政権が発足し内閣官房副長官に就任。社会保障と税の一体改革を推進し、社会保障制度改革推進法の成立をみる。また、内外の問題にあたるため、オバマ大統領をはじめとする国家首相と対談する。

2011

2012 環境大臣・原発担当大臣に就任

野田第3次改造内閣で環境大臣・原発担当大臣となり、東日本大震災の被災地を訪問し、首長や住民の方々のお話を伺う。被災地の復興復旧なくして、日本の再生はありえません。

2012

2013 第23回参議院選挙【千葉選挙区】で再選

インターネットが解禁となった最初の国政選挙。388,529票をいただき再選いたしました。国会では国家基本政策委員長に就任。また、環境委員会委員と北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員として頑張っています。

2013


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