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長 浜 分 科 員: |
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長浜博行でございます。質問の機会を与えていただき、光栄に存じております。
今の大畠さんの非常に情熱的な、熱の入った質疑を拝聴させていただき、私の問題に入る前に、今の問題を、私のきょうの質問というのは、極めて、システマチックな問題といいますか、今のいじめや何かの問題とはちょっと違いますものですから、別に考えたところがありますので御意見を伺えればと思うんです。
ちょうど週末に、長野でスペシャルオリンピックスというのが開かれました。大臣はよく御存じだと思います。私も、ちょっとこれに関係をしている関係で、開会式等出させていただきましたが、今回の週末のものは長野大会ということで、来年、世界じゅうから、スペシャルオリンピックスということで集まってこられます。集まってこられる方は、染色体の関係等々含めて精神に若干の障害がおありになる方のオリンピックなんです。日本だとパラリンピックの方が、これは身体に若干の障害がおありになる方のオリンピック、パラリンピックは有名であるかもしれませんが、欧米ではこのスペシャルオリンピックスの方が、かなり存じ上げている方が多いのではないかと私は思っております。
そういった中で、別にふだん悪いことをしているわけではありませんが、この政治の世界の中でくたくたになりながら、その開会式に出て、障害のある方々、スポーツは、ルールはわかっているんでしょうけれども、お一人ではできません。それをサポートして、地元の小学生あるいは中学生たちが、何というんですか、単純な言葉はちょっと安っぽいんですけれども、非常に感動を覚えた。どこに登校拒否をする、あるいはどこに非行などする余裕があるのか。そういったことができない方々がこんなに一生懸命努力をされ、そして、それを目の前にしたときに、やれることは自分の手でやっていこうと。
大変、そういう意味では、長野県知事は出ておられましたけれども、地元の小中、あるいは、オリンピックスですから世界じゅうから来年は来ます。そういった中において、そういった方々の援助、補助を、できることなら何でもやってあげるというようなことが、私は、将来の日本人という言葉を大畠さんが使われておりましたけれども、正しい日本人の将来像をつくっていくためにも、あるいは、安易に言われている子供の非行とか登校拒否とかそういう状況を、これは批判を覚悟であえて言いますが、本当に何というぜいたくな悩みを持っている国なんだというようなことを感じたものですから、これは別に通告もしておりませんから、御感想があれば、大臣、いかがでございましょうか。 |
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| 河村国務大臣: |
さきに長野で大会、プレみたいな感じでやったわけですね。私は残念ながらよう行きませんでしたが、長浜先生が行かれたということで、その感想を聞かせていただいて、私もうれしく思っております。
この大会、特にボランティアの方々がすごいですね。まさにボランティアの方々があって初めて子供たちの自立と参加というのが可能になっていく。したがって、今度の日本の大会では、オリンピックよりもたくさんの人が集まるというのは、まさにそれを応援する人たちがたくさんいるということ。さっき、非行問題は全体でやっていかなきゃいかぬとおっしゃった、それの一つの象徴的なものだし、ああいうところにいろいろ参加する、多くの方々が参加するということは、私はそれなりに意義があることだと思っております。
これも、文部科学省も、サッカーくじですか、そういうものがもっと売れればそういうことで協力をしたいとか、いろいろな要請もいただいておるところでございまして、スペシャルオリンピックス、しかも、オリンピック以外にオリンピックという名前が使えるのはこの大会だけだ、特別な意味を持っております。日本ではパラリンピックの方が有名でありますが、世界的には本当に、おっしゃるように、アイルランドあたりは国の予算だけでも六十億からかけてやっておる。そういう点では、私は日本の意識はまだ成熟していないのではないか、こういうような思いも抱いております。
ぜひ来年の大会、成功に向かって、我々議連もございます、先生も御参加いただいていると思いますが、よろしくお願いいたしたいと思います。感想も聞かせていただいて、ありがとうございました。 |
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| 長 浜 分 科 員: |
予算の分科会ではございますが、予算をつけるという発想ではなく、ぜひ教育の場としてそういった大会等々を活用していただければということもあわせてお願いをいたしたいと思います。
さて、新聞をこの間見ておりましたら、これは奈良県の教育委員会でございますが、二月二十六日付の新聞を私は見ました。一、二年生に英語を教えることを決めた。これは正規の授業時間外に実施をする。
いわゆる総合的な学習の時間というのは御承知のように三年生からでありますから、そういったものとは色合いがちょっと違っている。教育の特区の認定を受けて導入されるケースなどはあるが、自治体が独自に実施するのは聞いたことがない、これは文部科学省教育課程課のコメントということでここには紹介をされているわけでございます。学習指導要領で正規の授業時間を英語に当てることはできないため、そして三年から始まる総合学習につなげる意味合いというようなことで載っているわけであります。
そこで、はたと私は考えたわけでありますが、この義務教育という問題、憲法にも書かれているところでありますけれども、義務教育、小学校における教育の中で、何をもって義務となすか。
小学校では微分積分は習いませんでしたが、私も微分積分は、文科系ですけれどもやりました。しかし今、日常生活の中で微分積分が大変役に立ったと思われることは正直言って余りございません。それより私が痛感をすることは、きょういらっしゃる先生方は問題はないと思いますけれども、国際会議に出たときに、どうしてもっと流暢にしゃべれないのかなと。
このごろ、六カ国協議で、中国の王さん、外務次官ですか、出ますが、彼は日本語ぺらぺらですからね。通訳で、一応ああいう場でございますから、当然自分の国の言葉でしゃべって、相手がそれに答える。しかし、そんなものは、通訳を通さないでも、下手な通訳よりよっぽどあの方は日本語が全部できますから、その間、考える時間を得ることができる。非常に外交の状況の中においても有利な条件を得ているんではないかな。
私も長らくサラリーマンをやっておりましたけれども、私が在籍したような会社では当時では考えられませんけれども、英語の試験があって、それに通らないと課長になれない、そういったことで随分悩んでいる同級生がいるのに、同窓会なんかに行くとびっくりしました。私のころは、私も体育会でありますけれども、とにかく体が丈夫で、上の言うことは何でも聞く、そしてどんなつらいことでもやり遂げる、こういうのが非常に就職にとっては有利な条件でありまして、ですから、私のような体育会系はどこへでも就職できるというような状況でありました。多分そのときのニーズだったんでしょう、それがいい悪いということではありませんけれども。
今の状況から、これから将来のこと、特にインターネットが発達をする状況の中で、ホームページ等々を見てもおわかりになるように、どうでしょうね、七割から八割ぐらいはオリジナルは多分英語でしょう。日本の中で随分インターネットが盛んだと言われても、たかだか限られた一億二千万のパイの中で日本語という特定の言語を使ってやっていることでありますから、あのときもっと英語を勉強しておけばなあということを感じておられるサラリーマンや政治家や、あるいは官僚の皆さんも多いのではないかなというふうに思うわけでございます。
私の昔の同僚で、今は神奈川の知事になっていますが、松沢君が、中学校における英語教育じゃなくて、小学校における英語教育の必要性を本まで書いて大分熱心にやっておりました。私も小学生の子供が二人おります。この子供たちが、勉強しろと言っても、英語を勉強ととらえると、漢字の書き取りとか計算練習帳と同じように、英語の勉強というふうな、勉強と同列で考えるとなかなかやってくれないのはよく理解をしておりますが、将来、お父さん何であのときこう言ってくれなかったのと言われるものの順位づけをすれば、なぜ早い時期に英語の必要性を認識させてくれなかったのかと言われるように思えてならないわけでございます、それは微々たる私の経験からでもございますが。
小学校から英語を義務教育にする。シャワーのように、八歳ぐらい、小学校一年生、二年生、そういった段階から音で覚えさせていく。書けないけれども、識字率のことをきょうは言うつもりはありませんけれども、諸外国の中においても英語を勉強したから英語がしゃべれるわけではなくて、周りにあるから何となくしゃべって、そのうち覚えていく。子供の日本語を見たってそうです、書けなくてもしゃべれるわけでありますから。
そういった意味で、偏狭なナショナリズムとか、あるいは独特な、アメリカに屈するというような議論とか、大体アメリカでも使っているのは米語かもしれませんが英語と言われる種類のものでございますから、そういった観点からドラスチックに、学問としての英語ではなくて道具としての英語ということで、小学校から義務教育化するお考えはございませんでしょうか。 |
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| 河村国務大臣: |
私も長浜委員おっしゃるような共通の思いもございまして、これはこれから本格的に考える課題だと思っておりまして、実は先般、文部科学省内部にも早速検討を命じたところでございます。
どの時点で必修化するかは別といたしまして、今の時点でいつをということもまだいきませんが、研究開発学校を設けておりまして、現実に今小学校一年生からやらせている学校もあるんです。学校の先生は、なかなか大変だ、こうおっしゃいますが、私は必要だと思います。ただ、一方では、審議会の国語部会からは、いや、その前に国語が大事であるという指摘もいただいております。私は、両方しっかりやったらいい、こう言っております。
私自身の経験からしても、私、子供四人のうち二人を私立の小学校へやりますと、英語を小学校でやっています。その子と中学からやった子と、やはり差があるんですね。ヒアリングや何かで当然出てくる。これは歴然としているわけで。ではその小学校から英語をやったその子供が国語力がだめかというと、そんなことはないんです。やはり、ちゃんとやればやれる。私もそういうことを思っておりますので、これは私は、これからの時代、子供たちにとって必要な、能力というよりも自然に身につかせるために必要なことだと考えております。
小学校で必修にするにはどういう点をどういうふうにしていったらいいのか。当然、小学校から必修になってきますと、今のやっている中学の英語のやり方というのは全部変えていかなきゃいかぬですね、高校も変わっていくだろう。どっちかというと我々が習った英語は、中学、高校と、まさに文法や読解力、そっちの方を重点にやってきましたから、私自身、まさにその日本の英語教育の欠陥をそのまま身につけたようなものでありまして、国際会議に行って残念な、副大臣は達者でありますけれども、そういう思いを抱いておりまして、共通の認識を持っております。
そういう意味で、遅きに失したと言われれば、既に中国、韓国は取り組んでおるわけでありますから、この問題に正面から私は取り組んでまいりたい、このように思っておりまして、十六年度中に一つの、これから、小学校における英語教育のあり方も含めながら、初等中等教育における外国語教育の充実改善、総合的な検討を行って、この十六年度中をめどにして基本的な方向性をまず取りまとめてみたい、このように思っております。 |
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| 長 浜 分 科 員: |
大臣が御理解をいただけているので少しは心が安らいだ気がしますが、おっしゃられたとおり、時間がかかるんですよね、すごく。ではその教員養成システムをどう変えていくのか等々、やってみなければわからないんだけれども、国家百年の大計じゃないですけれども、所要の成果をおさめるために大変時間がかかりますので、ある意味でこれは、明治の時代に英語を母国語というか第一言語にしちゃおうと言ったような政治家もいるぐらいでありますから、長い課題ではありますけれども、国際社会の中で取り残されないために、そもそもが伝統的な学習の時間といいますか、新学習指導要領の売りだったものは、売りだったものはと過去形にしちゃいけない、売りは、生きる力をはぐくむためじゃないですか。
だから、生きる力をはぐくむために必要なのは、やはり国際社会の中でも活躍という高い次元のレベルの問題ではなくて、英語ができれば、例えば、こんな狭い日本の中でうじうじしたくない、外へ出たい、じゃ出ればいいじゃないか、出て活躍すればいいじゃないかといっても、いや、言葉が通じない。逆に言えば、言葉さえ通じれば、それじゃ自分は、日本の独特の社会の中で生きていくそういうものには適応できないかもしれないけれども、自分に合う場所があるかもしれない。
将来においての選択の幅とか、あるいは今盛んに悩んでいるところの中高年者の転職の問題も、語学の制限の中によって転職の場を日本の国の中に求めざるを得ないという状況になっていますから、言葉ができる方は世界各地のどこへでも、極端な話、御意思があれば、ツールを持っていれば、道具としての英語を使えればそれができるわけでございます。
ぜひ、そういったすべての基本の中において、何回も申し上げますように、道具としての英語を、英文学とかいうことではなくて道具としての英語を早く子供の時代から身につけられるようにしないと、後世の、親御さんといったらいいのか、子供といったらいいのか、後世の次の政治家からといったらいいのか、今でもおくれているぐらいですから、早急にやらなければいけないのではないかなというふうに私は感じております。
時間がありませんので、シンガポールの例等もお話をしたいところでありますが、きょうはその程度にさせていただければというふうに思っています。
ちなみに、これは通告してありますので聞かないと用意をされている方に失礼に当たりますので、TOEFLという、世界で留学するときに必要な英語の試験がありますが、これの置かれている日本の状況はいかがでございましょうか。 |
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| 近藤政府参考人: |
お答えいたします。
私どもが持っています最近のデータでは、TOEFLのスコアで公表されているデータとしては、受験者の国籍別スコアより、日本人の平均点はアジア三十カ国中二十八位と承知をいたしております。 |
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| 長 浜 分 科 員: |
言葉を失ったわけでございますが、そういった状況であることもぜひ御認識をいただければというふうに思います。
それから、急に身近な問題に参ります。
私は千葉県の柏市というところに住んでおるわけでありますが、千代田線で国会議事堂から行って終点でございます。乗りかえなしで便利なところでありますが、いつも毎年我が女房殿が、小学校、二人子供がおりましたので苦労する問題というか話題になるのは、一体一クラス何人になるのかなという問題です。百五十九人ですとこれは四クラスですよね。それから、それより二人多い百六十一人になると、これは五クラスになるわけですよね。間違いがあれば後で御指摘をいただければというふうに思うんですが。この二人のために、二人のためにというか百五十九と百六十一という数字でありますが、お母さんたちが大騒ぎをするわけでございます。
柏というのは、もとは田舎でありましたが、今は千葉県でも県庁所在地の千葉市などよりも乗降客の多いところでございます。そうすると、駅前に巨大なマンションが突然として建つわけであります。そういったマンションが都内に住むのよりはお安いのでございましょうか、ちょうど小学校の年齢の子供を持つ御夫婦、御家族が越してこられる。そうすると、運動会をやっても、例えば私の住んでいる明原町会、隣の何とか町会と同じ待遇で、何とかマンションが、その何とかマンションの何とかをとって何とかチームというのが一つできちゃうぐらい、そのぐらい教育の現場に影響を与えるのが新しいマンションの建築なのでございます。
さらに言えば、越境の問題というのが、規制緩和の問題等々を含めてかなり緩和されました。それは一面においていいことだというふうに思いますが、私のところのように駅前の大変便利のいいところに小学校がありますと、そこに集中をする。ナンバリングから言っても、柏第一小学校、一小と言うんですけれども、そういうのが好きな若いお母さんたちが多いのかどうかわかりませんけれども、越境してわざわざそこへ行く。迎えに行くのが駅から近くて便利だからとかいろんな理由があるようでございまして、ときには行政区を越えて、隣の市からも来ちゃう、こういう状況です。電車がつながっていますからね、大変便利なところで。
それで、生徒数が大変、この四月の前の時期には大騒ぎをする状況が展開をされますし、さらに言えば、二年に一回クラスがえなんですね。だから、小学校一年生の子供が、三年生になって、わあい、新しい友達ができたと喜んでいる。三年生の子供は、三年、四年同じクラスで過ごしていくはずなのに、四年生になる瞬間に大きなマンションが二本ぐらい建とうものなら、さっきの四クラスから五クラスということで、全面的なクラスがえに陥って、せっかく仲良くなった何ちゃんと離れなければならない。
大人からすれば大した問題じゃないんですけれども、こういった問題から登校拒否とか、本当かよというふうに言いたいんですが、本当にそういう問題があるんですけれども、どのぐらいその実態を認識されておられますでしょうか。 |
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| 原田副大臣: |
ただいま委員がお話しになったケース、全国的に今少子化がむしろ心配されておるようでありますから、どっちかというとケースとしては少ないのではないかなとは思いますけれども、しかし、現実に都市部においてはこういう問題が起ころうかと思っております。
御承知のように、学校の、また学級の編制については、基本的には都道府県ないし市町村の教育委員会に任せてきておるというのが結論でございます。義務教育標準法に基づきまして、一学級四十人を標準として従来から学校の教員の総数が国の基準で決められておるわけでありまして、その範囲内で、実際の学級編制というのは、市町村のいろいろな観点から、学校の実情、教育的な配慮等々弾力的な運用をするように、こういう指導を行ってきたところでございます。
ただ、二年に一度というわけにはいきませんで、そのちょうど切れ目のいいときに、転出入は当然のことながら学期のいつでも起こり得る話でございますが、今お話がありましたように、ふえた場合に、場合によっては学級を分割しなきゃいかぬというときも、教育のプロセス、時期、こういうものを十分配慮しながら本来は分けられておるということであると思います。
しかし、今お話がありましたように、学区の自由選択制も大分普及をしてきましたし、突然に今のような話が出てくるのも現実でございますが、あくまでも私ども文科省としては、都道府県に、また市町村に対して、しっかりその辺の実情を踏まえながら、子供の教育への影響を最小限にするような形で行うように、こういう指導をしておるところでございます。 |
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| 長 浜 分 科 員: |
この間の本会議でも、いわゆる総額裁量制の問題とか、それから今御説明がありましたような地方分権、地方のことは地方でやっていったらどうだ、こういった大きな流れの中でのことでありますが、この世界では激変緩和というのが多々使われる、さまざまな政策、法案の中で使われる部分もありますので、こういった問題についても、それは地域の問題で、確かにおっしゃられるとおり多いか少ないかと言われれば、子供が少なくて困っているというところが多いでしょうから、私のようなところというのは特異な部分かもしれませんけれども、先ほどの大畠さんの質問ではないですけれども、それだけ、逆に言えばいわゆる非行の問題も多いんですね、不思議なことに。
当たり前といえば当たり前ですね、子供の数が多いほど多分その非行の問題も統計的には多いはずでございますので、ぜひ子供たちの心の問題、こういった小さな問題にも、決まりは決まりだといってばさっとやらずに、細かい配慮をいただければというふうに思うわけでございます。
最後に、これは委員長も大変御関心の高いテーマで、私は一こま前、今、経済産業の分科会で同じ質問をしてきたのでございますが、サマータイムの問題について御質問をさせていただきます。
サマータイムはCO2の削減のためにどのぐらい貢献をできるか、このサマータイムの議論が出た当初においてはこういった部分もあったのかもしれませんが、別に私はそうは思っておりません。
もちろん、それにも十分貢献することは当たり前ですけれども、本筋としては、日本人のライフスタイルの転換、あるいはゆとりとか、昔はいやしという言葉はありませんでしたけれども、何をもって、個人の幸福と、組織と言ったらいいんでしょうか、国家の安泰というのを一致させていけるかという、そんな大げさな問題じゃないにしろ、経済産業大臣が書いていましたけれども、子供とサッカーをしたりする時間を持つことが政治家としても大変心の安らぎを覚えるというようなことを文章に書いていて、そのことについても質問しましたけれども、学校教育の現場の中において、サマータイムというものはどういうふうに議論の対象として扱われているんでしょうか。
当初は、これは経済企画庁と通産省、それから環境省でしたか、こういった三つぐらいの官庁での話でスタートしたと聞いておりますが、文部科学省、あるいは以前の文部省の議論でも構いませんので、御紹介いただければと思います。 |
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| 河村国務大臣: |
デイライト・タイム・セービングということですから、時間を有効に使えるという意味で、文部科学省の中でも、これによってアウトドア活動、家族の触れ合いとか、あるいはボランティア活動、また子供が屋外で遊ぶことができる、こういうことで歓迎。しかし一方、消極的な意見としては、睡眠不足の子供がふえるんではないかとか、塾通いの子供がふえやしないかとか、こういうことを懸念する向きもあります。
総じて言えば、このサマータイムを導入することによって、子供たちに対するいろんな面で時間の活用というものができるというので、私自身は歓迎の意を表しておるところでございます。この議論が広く行われることを望んでおります。
現実には、沖縄と北海道ではかなり時間が違って、夏時間用の夏休みをやったり冬休みをやったりとか、いろいろなことを現実には状況に合わせてやっておりますから、これが変わればそれに応じた対応はきちっとできる、こういうことでございます。 |
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| 長 浜 分 科 員: |
これも、大臣が御認識を大変深く持っておられるということで、あえて申し上げることはないわけでありますけれども、やはり家庭というものの考え方。私などもそうでありますが、余り褒められたおやじとは言えません。やはり、子供とおやじさん、あるいは、お母さんはしょっちゅういらっしゃるとは思いますけれども、それが触れ合う時間をふやしていく。職住隣接という言葉もあります。あるいは、NPOの問題。それから、リタイアされた後の問題等々を含めて、子供だけじゃありませんね、お孫さんとの問題。近場のNPO法人なり、あるいは職場なりというので第二の人生を始められた。しかし、その残りの時間と言っては何ですが、働く以外の場の中において、気候が許せば、赤道直下なら別でありますけれども、ちょうど日本の緯度、経度の感じからすれば、サマータイムを導入している国は多いですよね。
そういった状況の中において、ぜひ、教育の観点からも、単に勉強を詰め込むということだけではなくて、太陽が照っている間に親と子のつながり合い、あるいは先ほど申し上げましたようなさまざまなボランティア活動への参加、そういった機会が奨励されるわけでありますから、文部科学省としても、経済産業省とは違った観点から、サマータイムのメリット、デメリットはあるでしょう。しかし、デメリットのためにする議論ではなくて、むしろ今御答弁いただいたような形で、メリットの面を重視するような形で議論を進めていただければ幸いでございます。 質問をさせていただきまして、ありがとうございました。 |